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仙台簡易裁判所 昭和35年(ハ)106号 判決

原告 安住均

被告 国

訴訟代理人 真鍋薫 外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は被告は原告に対し金七万九千三百円及内金六万九千三百円に対する昭和三十四年一月二十二日より、内金一万円に対する昭和三十五年三月二十四日より夫々支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求めその請求の原因として原告は昭和三十三年四月一日より青森県三沢渉外労務管理事務所に駐留軍通訳として給料一ヶ月金一万八千九百円毎月十日払の約定で雇傭され指定業務に従事して来たところ、そのうちに身体の調子がわるくなり昭和三十三年十月二十日三沢中央病院において診察を受けたところ大転子カリエス後遣症のため治療十日間を要するとの診断なので、その旨の診断書を添えて欠勤届を提出し下宿先で療養していたが、はかばかしくないので更に同年十一月三日再診断を受けたところ、尚療養を要するというのでその旨前記事務所に届出て仙台市原町南目字柳沢七十一番地の一の自宅に帰り療養を続けることにし帰省後同年十一月五日仙台市大窪谷地八十三番地小坂外科病院において診断を受けたところ約一ヶ月の療養を要するとのことであつたため、その旨の診断書を添えて前記事務所に欠勤届を提出したのであるが、その後前記事務所より同年十二月二十日付書面により出頭を命ぜられ同月二十二日病をおかして出頭したところ、病気欠勤を理由に解雇の予告を受けたので、原告は事の意外に驚き同年十二月二十六日更に東北大学病院において診断を受け病気診断書を添えて欠勤届を提出したにも拘らず昭和三十四年一月十日前記事務所より解雇の通知を受けたのである。そこで原告は右解雇の不当を理由に十和田労働基準監督署に提訴したところ、昭和三十四年四月十一日付書面を以て解雇予告は有効であるとの通知に接した。よつて原告は昭和三十三年十一月より昭和三十四年一月二十一日までの給料未払分五万四千円並退職支給規定に基く一ヶ月分の給料相当の退職金一万八千九百円此の合計金六万九千三百円につき再三支払を求めたが被告は今尚支払わない。尚原告は被告の故意により義務なき行為を強いられ昭和三十三年十二月二十二日三沢渉外労務管理事務所に出頭し更に又昭和三十四年一月二十九日十和田労働基準監督署に出頭した際の各鉄道運賃合計五千円、宿泊料千円、弁当代等千五百円を要し外に右旅行のため原告の喪失した得べかりし利益一日五百円の割合による五日分二千五百円の損失を来たしたので以上合計金一万円の損害賠償をも併せて請求するため本訴に及んだ次第であると陳述し、立証として(中略)

被告代表者指定代理人は主文同旨の判決を求め、原告を昭和三十三年四月一日より青森県三沢渉外労務管理事務所に雇傭したこと、原告が昭和三十三年十月二十一日三沢中央病院において医師の診察を受け右大転子結核術后後遺症の為十日間の治療を要することの診断であつたため、その旨の診断書を添えた欠勤届を提出したこと、昭和三十三年十二月二十日付書面により被告より原告に対し出頭を命じたところ、原告は出頭したので病気欠勤を理由に解雇の予告をしたこと、原告は昭和三十四年一月十日被告より解雇の通知を受けたこと及被告は原告に対し昭和三十三年十一月一日以降給料退職金等の支払をしないことはこれを認めるが、原告が昭和三十三年十一月一日以降も病気の為欠勤届を提出したとの点は否認する。その余の原告主張事実は不知と答弁し、原告は昭和三十三年四月一日機械運転工たる駐留軍労務者として給料一ヶ月一万七千六百五十円支払日翌月十日の約で雇われ、三沢空軍基地六一三九部隊補給中隊ミルク工場に勤務していたところ、同年十月二十一日病気を理由に早退し翌二十二日三沢市三沢中央病院において右大転子結核術后後遺症により十日間の休業加療を要する旨の診断を受け、その旨の診断書を所定の手続を経て駐留軍当局に提出して傷病休暇を認められたのであるが、右期間経過後なんら休暇の手続をとることなく出勤しないので同年十一月初被告において調査したところ、原告はすでに無断で仙台市に転居の上欠勤していることが判明し、又同月下旬頃被告は駐留軍当局より原告について窃盗嫌疑の報告書を受領したため、その頃原告に対して調査のため三沢渉外労務管理事務所に出頭することを求め、原告はこれに対し書面を以て一応の弁明をしたが、これを以ては駐留軍当局及被告を納得させるに足らなかつた。そこで被告は同年十二月中旬原告の欠勤事情を聴取するため重ねて原告に対し前記事務所に出頭することを求めたところ、同年十二月二十二日原告は漸く出頭し、傷病による欠勤並仙台転居の事情について縷々陳弁をしたが、被告は原告が昭和三十三年十月二十二日以降の欠勤について同年十一月一日以降も傷病休暇を認められるとすれば九十日間の傷病休暇によつて解雇されることになるので昭和三十三年十二月二十二日付を以て原告に対し傷病休暇完了により昭和三十四年一月十八日を以て解雇する旨の人事措置通知書により解雇の予告をしたのである。右解雇予告と前後して被告は駐留軍当局者と共に原告の欠勤の実態を詳細調査したところ、原告は同年十一月一日以降休業加療の必要がない症状であることが判明したので原告に対し昭和三十四年一月九日付書面を以て同月十一日解雇する旨意思表示をし、右意思表示は翌十日原告に到達した。右のように原告は昭和三十三年十一月一日以降正当の事由なくして労務の提供をせず且つ原告の責に帰すべき事由による解雇であるから、被告は原告に対して右同日以降の諸給与その他退職手当の支払をすべき義務なく、又原告が仙台より三沢市及十和田市まで旅行をして原告主張のような出損があつたとしてもそれは原告の窃盗嫌疑並無許可欠勤に起因するもので被告がこれを賠償すべき責任を生ずべき因果関係はないと陳述し、立証として(中略)

理由

原告は昭和三十三年四月一日より青森県三沢市三沢渉外労務管理事務所に駐留軍要員として雇傭され、勤務中昭和三十三年十月二十一日頃三沢中央痛院において右大転子術后後遺症のため十日間休業加療を要するとの診断を受けその旨の診断書を添えて欠勤届を提出し、傷病休暇を認められて出勤しなかつたことは当事者間に争がない。原告は右加療休暇期間十日経過後も引続き傷病の為欠勤し同年十二月二十二日病気欠勤を理由に解雇の予告を受けたのであるからその後三十日を経た昭和三十四年一月二十一日解雇の効力が生じたので同日までの給料並退職手当の支給を受くべき債権を有するのであるが被告はこれを支払わないと主張し、被告は、原告は、昭和三十三年十一月一日以降傷病休暇の手続をとらず無許可欠勤をしたので職務を放棄したものとみなし制裁措置として昭和三十四年一月九日付書面をもつて同月十一日限り解雇する旨意思表示をし該意思表示は翌十日原告に到達したのであるから、被告は原告に対し、昭和三十三年十一月一日以降の諸給与その他退職手当の支払をすべき義務がないと争うので、先ず原告の病気症状について検討するに原告が昭和三十三年十月二十一日三沢中央病院において初めて診察を受けた際その診療に当つた医師である証人住友昭の証言、次に原告が昭和三十三年十一月五日仙台市大窪谷地小坂外科病院において診察を受けた際その診療に当つた医師である証人小坂敏夫の証言とを併せ考えれば、原告には右大転子結核手術の既往症があり原告は該手術傷痕の疼痛をうつたえるため、手術后後遺症と診断したもので他に病的所見はなく事務的職業に携わる者であれば休業する程のこともないのであるが原告の職業は機械運転工であつたため休業加療を要する旨の診断書を作成したものであることが認められ、原告本人尋問の結果によれば原告は昭和三十三年十月二十二日より十日間の傷病休暇が認められて欠勤した後間もなく翌十一月三日勤務地の下宿先である三沢市松園町三丁目十二番地の四、西館タマ方を引揚げて仙台市原町南目字柳沢七十一番地の一の自宅に帰り、下宿先の荷物は解雇されたときに仙台へ送つて貰うように頼んだ来たこと、職場において監督者の許可なくアイスクリームを処分したことにより監督者である米軍人ギボンズから窃盗の嫌疑を受けて取調べられ、同人と感情的に対立を生じていたことが認められるので、原告は職場に嫌悪を感じ病気休暇に藉口して欠勤し職務を棄てて自宅に帰つたものと窺われるふしがあり、被告側において原告の昭和三十三年十一月一日以降の病気休暇を認めなかつたことは相当といわなければならない。被告は原告に対し昭和三十三年十二月二十二日病気欠勤を理由に解雇する旨の予告をしたことは当事者間に争なく、原告は右解雇予告期間中である昭和三十四年一月十日原告に対して即時解雇の通告をしたのは不当であると主張するのであるが、使用者が労働者の責に帰すべき事由に基いて解雇する場合には、解雇予告の有無に関係なく仮令予告期間中といえども労働者の責に帰すべき事由に基き別個に解雇し得ることは勿論、そのため所轄労働基準監督署長の解雇制限除外の認定を要件とするものでもないものと解するので、原告は前記認定のとおり許可された休暇期間満了後職務に復帰することなく無許可欠勤を続けていたのであるから当事者間に成立に争のない乙第一号証の基本労務契約条項中の制裁解雇の事由に該当し、所謂労務者の責に帰すべき事由によつて被告が昭和三十四年一月十日原告に到達した書面により為した即時解雇の意思表示は有効なものといわなければならない。証人蝦名久次郎の証言によれば一旦解雇予告が有効に成立した以上労働者の同意を得て解雇予告を取消した上でなければ除外認定を受けることができず従つて解雇予告中に即時解雇は許されない趣旨の供述をするのであるがそのような見解は当裁判所のとらないところである。被告が原告に対して為した即時解雇が有効である以上原告は被告に対して無許可欠勤をした日以降の給料並退職手当の支払を請求する権利はないので原告の請求は理由がない。又原告は被告の故意により義務なき行為を強いられ昭和三十三年十二月二十二日三沢渉外労務管理事務所に、昭和三十四年一月二十九日十和田労働基準監督署に夫々出頭し合計金一万円の損害を蒙つたから被告に対してその賠償を求めると主張するのであるが、前記認定のとおり原告は病気休養に藉口して昭和三十三年十一月一日より無許可欠勤をし、又物資を処分したことにより窃盗の嫌疑を受けて弁明を求められたためであつて被告の故意によつて原告の権利を侵害したことにはならないからこの点の原告の請求も理由がない。

よつて原告の本訴請求は凡て失当として棄却し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 手戸清彦)

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